上野学園を愛する人、心配する人、そして日本の音楽文化、音楽教育に興味を持って下さる方へのメッセージ

~新しい上野学園を作る会とは何か、その活動経過について~

2016年12月30日

横山 幸雄

 

「新しい上野学園を作る会」の前身である「上野学園の将来を考える会」が発足し、活動を開始したのは2016年の3月初旬のことです。石橋慶晴前理事長に、ご自身の報酬額についての質問書を送ったのが最初のアクションでした。

何故そのようなことをしなければならなかったのか、その答えを書く前に、僕と上野学園との決して短いとは言えない関わりについて少し触れたいと思います。

僕が初めて上野学園で教えるようになった十数年前、当時の理事長は上記の石橋慶晴氏の母である石橋裕氏で、学長も兼ねていました。その権力は絶大なものであり、また彼女が音楽学部を軽視していることをその頃すでに知らない人はおらず、自身は専門分野である英語、英文学に傾注し、今は無き国際文化学部を創設したのでした。それこそが結果として上野学園の経営のつまずきの原点となりました。

国際文化学部には学生が集まらず、最終的に多額の赤字を残して閉鎖されました。それ以来、学園の経営は一貫して赤字です。そんな折、息子の慶晴氏が海外から戻って学園の専任理事に就任し、学園の未来に明るい一筋の光を見たような気がしたのは僕だけではなかったはずです。そのようなタイミングでもっと深く学園にたずさわることを彼から要請され、それに対して「日本一の音大を作る」くらいの気概があるなら、と他の教育機関からのオファーを蹴って上野学園の教授の職を引き受けさせていただきました。

自分の功績などと自惚れるつもりは毛頭ありませんが、僕なりに努力をしてきました。演奏家コースを創設しカリキュラムを一から考え、そのために現役バリバリの忙しい演奏家の仲間達の協力も得ることが出来ました。

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ようやく本題に戻りたいと思います。そんな僕が直接的に、また間接的に声をかけて学園の教員として教えに来てくれている演奏家仲間が、昨年秋くらいから、「もうそろそろ上野学園を辞めたい」と言うのです。辞める前に、声を掛けた僕にひと言伝えたほうがいいと思って連絡をした、と言うのです。

一人や二人の話ではありませんでした。よくよく話を聞いてみると、専任から非常勤への合理的な理由のない降格や給与の大幅な減額……。現に日本が世界に誇る超一流演奏家である教授のひと月の給与振込み金額は今年度から十万円程度になってしまいました。

決して金額が全てという訳ではありませんが、どんな人でも限りある時間の中で何をすべきかを割りふって生活設計をするわけですから、このことによって辞めたいと思うのは現実的にはムリもない話です。また中には、今まで良かれと思って学園に提案してきたことが、説明もないまま何一つ実現しないのでこれ以上やっていられない、という話もありました。僕自身も身に覚えのある話です。

何はともあれそんな仲間達をなんとか引き留め、そしてこの度の会の活動へと入っていったわけです。学園にとっての貴重な人的資産とも言える彼らをそう簡単に手放すわけにはいきません。そんなことになったら学園自体が即成り立たなくなってしまいます。このような言い方をすると、まるで経営者の立場であるようにも受け取られるかもしれませんが、実際そのくらいのつもりで、権力が一手に集中している前理事長にはいろいろな提案をしてきました。

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かねてより学園の赤字経営を心配する声はあり、僕としてもその度ごとにドキドキしながらも、学園の資産を切り売りすることでなんとか見通しが立ったことを聞くと、胸を痛めつつも一方では安堵のため息を洩らしていました。

しかし、学園の資産といっても無限ではありません。いつかは無くなってしまう……、いよいよ最終段階に入ったという声も耳に届くようになりました。そんな中での前述のような仲間に対する仕打ち、これは教育に対しても音楽に対しても冒涜としか言いようがありません。

何故なら、実は理事長一族は相変わらず多額の報酬を得ているという話が聞こえてきたからです。これは単に世間でよく言われているような少子化の問題などではなく、学園の体質の問題であり、そういう中での経営の問題ではないかと考えるようになったわけです。

何度も当時の理事長や学長に改善を進言しましたが、いっこうに何の具体的な進展が見られず、ならば理事長ご自身で報酬額を明らかにしていただいて、それをみんなが納得すればまだ一緒に頑張っていくことは出来るのではないかと考えたのです。

それが我々の具体的な最初のアクションであり、そのために、学園にとって重要な役割を担っていた指揮者の下野教授と過去に管理部長、学園長秘書等を経験され、当時、理事長室付特別参与であった松平氏と3人で「上野学園の将来を考える会」を立ち上げました。しかし、騒動が大きくなり4月21日に前理事長による説明会が開かれるまで納得のいく答えを自身の言葉で語られることは一切ありませんでした。

さらには、早速にもまず松平氏が「上野学園の将来を考える会」の一方的な主張内容を記載する文書の配布等その他就業規則違反行為ということで実質的な自宅謹慎処分となりました。そして、ついに下野教授が6月に突如辞意を表明しました。そんな彼が残した言葉で印象的だったのは、「犯罪者の片棒を担ぐようなことをこれ以上続けることはムリだ」「石橋家は能力はないかもしれないけど、真の敵は船山学長である」というようなものです。

前者は、学生達のためにと思ってしたことが全て回り回って邪悪な石橋家を助けることになってしまうというジレンマに陥ってしまう現在の教員の気持ちをそのまま代弁しているとも言えます。後者は、そんな石橋家をいまだに擁護する動きをする学長の存在が、ことをさらに複雑にしているということを言い表しています。

僕自身にとっては、かつては上野学園の興隆のために一緒に知恵を出し合った学長ですが、このところの動きは理解の範疇を大きく超え、これ以上ついていくことは出来ないという訣別のメールをすでに5月には出させていただきました。そして、実はもうすでにその頃から学園の教員の顔とも言うべき全ての大学の主任教員が学長に対しても不信任の意を表明しています。

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